「思い込み」の危険性

ずっと以前、ある姉妹に、「よく似てるね、さすが姉妹だね。」と言ってしまったことがあります。二人は困惑した顔をして「えぇ」とか答えてくれていました。何かまずいことを言ったのかなと思ったのですが、何がまずかったのか、すぐには分りませんでした。数年後、姉妹の事をよく知る人から、二人に血のつながりはないという話を聞いて、ようやくその時の困惑した表情の意味が分かりました。愕然としました。

また、別の中学三年生の少年に、「十五の春だね。高校受験、頑張ろうね。」と声を掛けてしまった事もあります。その少年、事情で、2年遅れての中学三年だったのでした。

私自身、聞かれて困る質問があります。例えば「故郷はどこですか?」という問いです。多くの人には、生まれ育った場所など頭に思い浮かぶ場所があるのでしょうし、思い浮かぶ場所がある人がこのような質問をするのだと思います。私には、ここが故郷という思い浮かぶ場所がなく、「産まれたのは大阪らしいです。」とか、「福岡から上京してきました。」とか、誤魔化していました。勘のいい人は、私が言い切らないことに気が付いて、怪訝な顔をすることもあります。

百道庵のような活動をしていると、家族の形態が様々であること、経歴/学歴の形態も様々であること、は、当然、知っています。また、思い込みによる発言が、相手を困らせてしまう事があることは、自分自身にも思い当たることがあり、理解しているつもりです。しかしながら、偏見があるわけでもなくても、よくある形態が頭に染み付いていて、ふとした時の発言の端に思い込みによる決めつけが現れてしまいます。このような発言は、思い込みの形態の外にいる人達にとってみると、困惑するし、悲しいし、壁を感じてしまいます。ふとした発言による些細な困惑の積み重ねが、暮らしづらさを構築していきます。世間には、色んな形態の家族がいるんだ、色んな形態の学歴/経歴もあるんだ、自分とは違う人たちがたくさんいるんだという認識が世間一般に広まり、根付いていって、暮らしづらさが消えていけばと願います。少なくとも、私自身はやらないように、自戒の念を込めて。大きな活動でも、目に見える具体的な活動でもないんですけど。